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Guitar : Les Paul Junior 56年製
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レズリー・ウエストのギター・プレイはピッキングハーモニクス、フィードバック、ハンマリング・オンとギターのボリューム・ノブを使ってのバイオリン奏法、分厚いゴリゴリの低音リフ、強烈な歪みを与えたスライド・プレイ、メロディアスなウーマン・トーンなどロックギターのテクニックが満載で、クラプトン系といえど、独自の個性をマウンテン初期の時点ですでに発揮しているあたりはさすがだと思う。
数多いブルースマンから学んだ音楽的バックボーンからにじみ出るスケールの大きさ、フレーズの多彩さという点においてはレズリー・ウエストはクラプトンにはかなわないが、レズリーはクラプトンが確立したロック・ギターというテクニックにハードロック的立場からより増幅させたところに特色がある。歪みの強いピッキングハーモニクスでオーバートーンを出していたのは60年代末期ではレズリーの他にはほとんどいなかった。しかもクラプトンはクリーム解散後、ジョン・レノンと組んだり、ブラインド・フェイス結成などを最後にメインとしてのギブソン系のギターからは身をひいた。ポスト・クリームの時代にクラプトン・フォロワー達が相次いで名乗りをあげている中で、レズリーの存在感はますます際立ったのである。この差異はレズリーがロック・ギタリストとしては第二派のグループに属し、より身近にはロックン・ロールからの影響が強く、しかもブルースそのものもクラプトンを通じて知ったというのが大きいと思う。つまり一度クラプトンというフィルターを通して、ブルースやロックンロールを再構築した結果があの様々な奏法に繋がっていくのである。
彼はフェイバリットとしてアルバート・キング、バディ・ガイ、キース・リチャーズ、エリック・クラプトン、ピート・タウンゼントあたりをあげている。特に黒人ブルースがルーツという訳でもないらしい。当然ひととおりのブルースマンを聴いてはいただろうが、それほどマニアックでもなかったようだ。 そしてクラプトン以上にロックンロール的ニュアンスが強く、コードワークなどにもそれ風のリフを多用した長いアドリブを得意としている。ライブでのギター・ソロ・パートでストーンズを彷彿とさせるフレーズがよく飛び出すのもそれを物語っている。またパパラルディが後に竹田和夫率いるクリエイションと組んだときの竹田のプレイを聞いてわかったのだが、マウンテン時代のレズリーのカッティング・ノイズをそのまま生かした8ビート・ピッキングはパパラルディの指示であった事が伺われるのだ。これのよくわかるサンプルとしては「クロスローダー」のリフに顕著だ。
クラプトンがクリームを解散してプラインドフェイスでややソフィストケイトなギターを弾いていたのに対して(プラインドフェイスのライブでの「クロスロード」でも実に中途半端なアレンジであえてクリーム的なものを避けているのがかえって歯がゆい)、レズリー・ウエストは逆にクリームのハード部分を拡大するような演奏をした。とりわけ当時のアメリカではハードロックをブリティッシュぽく演奏できるバンドはほとんどなかった。
レズリーはハードさの中にもメロディアスなマウンテンの楽曲に見合ったキャッチーでわかりやすいフレーズを弾いていた。よくクラプトンはフレーズ弾きというよりメロディ弾きであると言われるが、クリームのライブではジャックブルースとの対抗上どうしても力技の比重が高かったが、レズリーは動と静を使い分け、メロディ心をしっかりと打ち出して強い印象を与えた。すなわち暴力的なワイルドさと緻密な楽曲による繊細なフレーズを見事に使い分けられるギタリストなのだ。これはもちろんプロデューサ兼ベーシストのパパラルディの指示によるところも大きいのであるが。「ミシシッピ・クイーン」はロックのワイルドさと繊細さが同居しているマウンテンのエッセンスが凝縮された素晴らしい曲である。
さらに特筆すべきはその即興性の才能だ。彼が使う音階は基本的にペンタトニックであるわけだが、一聴すれば簡単なようでその音使いは実にスリル感を演出している。何が飛び出すかわからない期待感を常に彼は我々に掻き立てさせるのだ。彼はスタジオでのソロを決してそのままなぞることはしない。それを基本にしながらその場の雰囲気と感情の起伏に沿って常に新しいソロを組み上げていく。彼にかかるとそのペンタの音階は無限のフレーズとなって創造的メロディを構築していくのである。「ペンタトニックの魔術師」と言われる所以である。
しいてクラプトンと共通する所はその微妙なピッキングニュアンスと音程のコントロール、ギブソン系特有の音色、即興性に優れたギターワークだろう。指の力も当然強かったと思うけど、ビブラートもクラプトンと肩を並べるほどのものだ。しかし、クラプトンがいとも普通に流麗なフレーズを弾くのに対して、レズリーの特徴は全身から絞り出されるような感情ほとばしるダイナミックスさと一転繊細なメロディーラインにある。まさに剛と柔の対比である。また、フレーズをよく聴くとクラプトンとはスケールの使い方が違っており、指使いもまた違う。彼は2本の指しか使えなかったと言っているが、その言葉を信じるならおそらく人差し指と薬指のみで弾いていたと想像しうる。この制約が逆に独自性をもたらしたともいえる。そしてクラプトンがよく使ったような3連符はスタジオでは「ドント・ルック・アラウンド」ぐらい、ライブでもあまり頻度は多くなかった。これはレズリーの好みよりもパパラルデイの指示も大きいのではないかと思う。当然、手癖でフレーズを重ねる所謂ランフレーズも少ない。超早弾きはないかわりに、耳に残るフレーズが多い。3連符が嫌いなのかどうかはよくわからないが(パパラルディは好まなかったそうだ)、レズリーの1音の表現力はそれに匹敵する。思うにこれはマウンテンの曲調がハイスピードなものが少ないということと、レズリーのフレーズが曲に見合った唄うようなフレーズが多いためでもある。そしてその調和の取れたフレーズはパパラルディのベースと常にリンクしているところが大きな特徴なのである。即興と調和こそマウンテンの真髄と言えるのだ。
こうして見ていけばレズリーは言わばクラプトンをより身近にしたような要素だといっても決してはずれているわけではないであろう。初心者にも実にわかりやすいギタリストだったといえる。「自分もこういうギターが弾いてみたい」と思わせる大衆性を感じさせるあたりがレズリーらしいと言えるだろう。しかし、実際に彼のニュアンスを出すのには多くの困難もあったことを彼をコピーしたギタリストの多くが痛感したのである。
【ロックギターの命、ビブラート奏法】
レズリー・ウエストのメイン・ギターは、レスポール・ジュニア1954年製シングル・カッタウェイ・モデルである。
このギターのPU、P−90は中域で独特のくせがあるのだが、レズリーはピッキングした瞬間に指の腹を弦に当ててだすピッキング・ハーモニクスを効果的に使った「泣き」でこのギタの音色をより魅力的なものに変えた。また、渇いたギターの音色が気持ちいい。
レズリー・ウエストのギターを語る場合、絶対はずしてはならないのはレズリーの看板でもあるこの自由自在のピッキングハーモニクスである。今でこそこのテクニックはロック界においては当たり前のものとなっているが、70年前後まっさきにこれを使ったのがレズリーであり、しかもそのトーンはロックの表現力を広げた画期的なものであった。もちろん、これを最初に使ったのは50年代にセッション・ギタリストで活躍していたロイ・ブキャナンがいるのだが、レコードで最初に記録されたのは実はクリームのファースト・アルバムでの「スイート・ワイン」という曲でもちろん弾いているのはクラプトンであった(ロイ・ブキャナンによれば自分の音源もあるそうで、だとするなら彼が最初になる)。クラプトンはザ・バンドのロビー・ロバートソンがフェンダー系のギターでピッキング・ハーモニクスを使い出してクリーム解散後、再びこれを使い出したのだが、それをハードロックの世界で明確なテクニックとして確立したのはレズリーであった。音色はよりアグレッシブである。
その上、ジュニアは倍音がさらに豊かなためにピッキングハーモニクスが出しやすいわけで(「イマジナリー・ウエスタン」でのファースト・ソロの最後など)、この弾き方を駆使した低音弦リフなどマイケル・シェンカーに多大な影響を与えている。ジュニアの場合、普通の弾き方でハイポジションのリードを弾くと音がぼやける場合もあるが、それを補っているのがレズリーお得意のフィンガーテクニックというわけなのだ。これのバリエーションとしては悪の華ライブの「ミシシッピー・クィーン」での2回目のソロの最後で音を伸ばしながらハーモニクスを与えることでワウワウの効果を出している。ジュニアの最高のトーンとサスティーンを引き出したのがレズリー・ウエストなのだ。このギターの中低音の厚みは擬似ホーンセクションのような音まで出すことができ、ライブの「ストーミー・マンディ」のコード・サウンドでそれを確認することができる。「ネバー・イン・マイ・ライフ」の歌のバックで聞かれるリズム・ギターも同様の音色である。
ジュニアは電気を通さない生鳴りはけっこうアコースティックな響きがする。しかし、ひとたびこのギターをアンプにプラグ・インしたらハムバッカー搭載ギターに匹敵する素晴らしいトーンを奏でる。そして地を這うようなピッキングハーモニクスを併用した低音リフの衝撃。後にディマジオという有名なPUメーカーが70年代にクラプトンとレズリーのこの音に惚れ込んでそれに似せたスーパー・ディストーション・ハムバッカーを作ったというのは有名な話しだ。
レズリーはクラプトン的音色とフレーズ(表面の部分だけだが)を使いながらもこのテクニックを混ぜることによって単なるクラプトンもどきに終わらせなかった。とりわけ高音域のハーモニクスのみならず、低音弦でのハーモニクスはさらに難しく、それをチョーキングしながら出したり、バイオリン奏法と組み合わせながら出すという高等テクニックは他をよせつけなかった。この奏法はリフのヘビーさをいっそう際立たせる切り札となった。彼の繰り出すリフは「サソリの一刺し」と言われたそうな。マイケルシェンカーをはじめ多くのギタリストがこの辺に注目したものである。ピッキングハーモニクスをかけながら連続的にフレーズを弾く、クラプトンもやっていないこの弾き方はハードロック・ギターとしてのオリジナリティを十分に主張している。レズリーに影響を受けたギタリストは数知れず。例えばレイナード・スキナードの各ギタリスト、リック・デリンジャー、ZZトップのビリー・ギボンズ、キッスのエース・フューレイ、ドッケンのジョージ・リンチ、今は亡きランディ・ローズなどだ。しかも、多くのギタリストに継承されているとはいえ、あそこまで自在に音色を操って様々な表情を出せるギタリストは少ない。ライブ・アルバム「暗黒への挑戦」では「鯨の声」(鯨って泣くのか?笑)のようだし、うめき、叫び、驚きなどいろんな表情を出している。「悪の華」アルバムでのライブでは象のようなニュアンスも聞かれる。時には鳥の鳴き声みたいな音も出している。
レズリー・ウエストは常時このピッキング・ハーモニクスを出せる体制でフレーズを弾いているために、引っかかるようなニュアンスを与えている。オルタネート・ピッキングとダウン・ピッキングを併用することで鳥の鳴き声のような音色が常に効果音的に聞かれるわけである。ここがハードロック的にクラプトン奏法を発展させたレズリーの一大特色であるわけだ。サード・アルバム「ナンタケット・スレイライド」の1曲目「ドント・ルック・アラウンド」という曲では、これ全編その典型である。というかサードアルバムのギターがほとんどそれで、レズリー・ウエストのギターが完成されたアルバムなのだ。ソロパートがピッキングハーモニクスと常音の境目の様な渇いた音色が快感である。また、ライブではクラプトンのようにけっこう甘めの太いトーンも使っているがクラプトン以上にバイオリンっぽい音色である。マウンテンの場合は両方がそれぞれ持ち味があって甲乙つけがたい。とりわけ音色がバイオリンのような甘く繊細なのは、パパラルディが使っているベース、EB-1との整合性を企図しているのではないかと思われる。ヘビーな音を強調するためのドローン効果を生み出し、一方でクラシック的センスを表現するためのアクセントにもなっているというわけだ。こういうつっかかるようなニュアンスはマウンテン時代(70年代)に顕著であり、WB&Lやレズリー・ウエスト・バンド時代ではあまり使われていないのが興味深い。
クリームのクラプトンを見たのがレズリーのギタープレイの一大転機になったわけだが、マウンテンでのそのギターのトーンは完全にクラプトンに肩を並べた以上に、独特の個性を発揮した。あのLPジュニアはパパラルデイからプレゼントされたものらしいが、それまでのレズリーはフェンダー系のギターを使っていたことからも、レズリーのギタリストとしてのひとりだちはパパラルディとの出会いによってもたらされたものでもある。そして、そのトーンは見事に存在感を主張している。意外なのはレズリーが使っているピックはヘナヘナのうすいものだった。あの低音のゴリゴリした音はてっきりハードな硬いものだと思ってもいたしかたない。そして、ピックが割れるまで使って、割れたままでも使いつづけるのだそうだ。が、これを他の人が使いこなせるかは難しいかもしれない。たいていの場合、ピッキング・ハーモニクスやハードなリフを弾くにはある程度固いピックのほうがやりやすいためだ。もちろん指の使い方も重要であるが。

これがレズリーが使っている極薄へなへなピック
レズリーは最近のインタビューでは、ギタリストの存在感はトーンにあり指先のコントロールが大事だと言っている。マウンテンの音をはじめて聞いた時も確かにそのトーンは大きな印象を与えた。ピッキング・ハーモニクスも単に効果音という範囲だけではなくて、まさにトーンのひとつであって、それは表現の拡大なわけである。
ギタリストの存在感が「トーン」であるとするならば、それはすなわちギタリストの「個性」ともとらえることができる。レズリーは微妙な指使いと、ジュニア及びピックアップ、そしてアンプのトータルでこの「トーン」を作り出している。
レズリー・ウエストはこのようにマウンテン時代は特にエフェクターを頻繁に使うタイプではなく、あくまでナチュラルでアコースティックな感覚を大事にしていた。クラプトンではご用達のワウワウでさえ使わなかったのである。このことはまさに彼の本質的な部分でのギタリストの力量を物語るものであり、80年代以降脚光を浴びるテクニカルで音数の多いギタリストと決して同列で比較するのはまったくナンセンスであるのがわかるだろう。
様々な音色を駆使して、ギターを操るレズリーは個性の固まりだし、それは数あるテクニカル・ギタリストが存在する現在でも異彩をはなっており、同じミュージシャンに一目おかれる理由であろう。ちょっと聞けばこれはだれそれとわかるギタリストって少ないのだから。ロック・ミュージックにおけるギターの役割や我々が目指すギタリストとしての目標もこういう部分に真の意味があるように思えるのだ。
【使用機材】
マウンテン時代は初期においてはレズリーもフェリックスも同様にSANNアンプを愛用していた。当時のアメリカにおいてはサンはニュー・ロックの台頭に合わせて勢力を伸ばしてきたアンプでジミヘンも使っていたほどだ。70年代始めのステージ写真でも頻繁にサンをバックにしたショットが目に付く。マウンテン中期以後はマーシャルに変わっていくがヘッドだけはサンを使っていたこともあるようだ。
ただし、これをそのまま使っていたわけでなく何らかの改造が施されていたのは当時のマウンテンのインタビューでも語られており、これはあの時代のプロ・ミュージシャンなら当たり前のことであった。レズリーのインタビューでジュニアのギター・サウンド誕生の秘密が少し語られていたが、ウッドストックのステージにはマーシャルなんて置いていなかったため、PA用のアンプ(ボーカル用)にギター用のスピーカーを組み合わせたのが、あの図太い暴力的なサウンドを生み出したというのである。この偶然がもたらしたサウンドを再現するためにレズリーはマーシャル・アンプに手を加えたということだ。ここから何がわかるかといえば、PA用はパワーとゲインのコントロールが別々に分かれていたのだ。当時のアンプはまだマスター・ボリュームなるものはなかったため、恐らく改造の個所はこのスイッチの増設と真空管のチェンジではなかったかと推測することはできる。しかし、それ以上は結局不明である。
また初期のライブ映像を見てみると、レズリー・ウエストの足元には謎のフット・スイッチがあり、ディストーションの度合いによってオン・オフしているように見うけられる。多くのマウンテンのライブ音源を聞くと、通常の歪みをさらにブーストしたようなサウンドがよく聞かれるのであるが、これこそこのフット・スイッチと関係があるのではないか。そこで思い浮かべるのが時たまレズリーのギター・ソロで使われるエコー・プレックスの存在である。この機材の使用頻度はそんなに高くはないが、本来の使い方に加えていわゆるパワー・ブースターとしての役割を担っているのではないかというわけだ。同時期にジミー・ペイジも同じことをしていたという情報もあり、またリッチー・ブラックモアもこうした使い方をしていたという話であり、70年代初頭のギタリストの間ではけっこうはやった使い方であったと推測されるのである。
【そのほかに使用したギター】 Other
Guitars
レズリーはマウンテン時代の初期においては54年製のジュニアをメインに55年ジュニア、年式不明のTVのシングル・カッタウェイとダブルカッタウェイ、マウンテンの解散前後には白のSCジュニアを使っていたが、白色はもとのブラウン・サンバーストの塗り替えだった。白のジュニアは日本公演と「ウエスト・ブルース&レイング」のファーストとサードのジャケットで確認できる。
あと、レズリーは前述の「フライングV」なんかも使っていた。このギターにもジュニアと同じピックアップがリア側に交換で取り付けられていた。あとスライド用にアムペッグ・ダン・アームストロング(透明アクリルボディ)も使っていた。マウンテン解散後、70年代半ばはLPカスタムに乗り換えていた。
85年の再結成でもっとも面食らったのがレズリーがアーム付きのヘビメタ・ギターを使い出したという事だ。彼には超強力なビブラートという武器があるのに、なぜアームを使うのか。さらにエフェクターもぎんぎんに効かせていた。一瞬おおっと思わせたのもつかの間、実に軽薄な後味を残したのは、思うに当時のLAメタルなんかの影響を受けて、自分たちもそれなりに時代の流れに乗らねばと思ったのだろう。ところが、バンドのカラーにあってないばかりか、ギターの音色も確かに今風ではあるのだが、レズリーでなくてもいいような音だった。マウンテンの時は歪んでいながらもどこまでもアコースティックな感覚というのがその良さであったのだから。
ソロ時代は、ハイテク・ギターの代名詞、スタインバーガーを使っていたのだが、音は格段によいし、表現力も段突なのだが、いまひとつ心に来るものがなかった。そう、レズリーの場合あまり洗練され過ぎても駄目なのだ。

近作「マンズ・ワールド」でまたP-90(2PUのスペシャルだろうが)を使い出したのはよい傾向だが、それでもメインはスタイン的な仕様のウエストバーガー・モデルという特注仕様のギターを使っているので、昔からのファンを納得させるのは難しいようだ。
【新情報】
最近レズリー・ウエストの関係者からの情報によるとセカンド・アルバム「クライミング」の「ミシシッピ・クィーン」と「イマジナリー・ウエスタン」はギブソン・メロディ・メーカーで弾かれたものであるそうだ。確かに以前からライブとスタジオでは音色が違うなと感じていたのだが、これ以外にも曲によってギターの使い分けがあるだろうことが当然推測されるであろう。実際に使っていたメロディ・メーカーをここに掲載する。
ただし、このメロディ・メーカーは3/4モデルであり、はたしてこのギターで本当にあのサウンドを出せたのかはさらなる検証が必要である。


(左)イラストが施されたEB-1(右)珍しいEB-3(-0かもしれない)を弾くパパラルデイ
パパラルディのEB-1という例のバイオリン型のベース、元々50年代に作られた由緒ある歴史もので、最初はシングル・コイルのPUがついていてウッドストックでもこれが使われたのだが、それ以後彼がメインで演奏していたのは50年代後半のボディにfホール・ペイントがないモデルと70年のハムバッキングPUに変更されたリイシュー・モデルである。上の写真はそのリイシューにサイケ調のペイントがほどこされた有名なEB―1である。おそらくこれだけ明瞭な正面からの写真は本邦初公開であろう。彼の妻ゲイル・コリンズが描いたイラストはまさにこれまでのマウンテンのアルバム・ジャケットに描かれていたものと同じ種類のものである。このEB−1ベース、60年代は一時生産中止になってたらしいのだが、これをギブソンにリイシューさせたのは一説にはパパラルディとも言われている。重く図太く引きずるようなトーン・キャラクターはまさにマウンテンのサウンドの要ともいえるものであり、70年代においてもその独特の個性は際立っている。音質はひたすら太くて重い。特に50年代初期のモデルはとりわけボディが重かったらしいが、その重さも音に貢献しているようだ。
パパラルデイはバイオリンベースとは別にジャックブルースが使っていたSGシェイプのEB-3も使用しており、その他にもEB-0というのも使っていて、こちらは形はそっくりだが、少し仕様が違う。PUが恐らくバイオリンベースと同じ物だと思うが、ジャックはマウンテンでパパラルデイがこのベースで素晴らしいトーンを出してるのを一目ぼれし、70年代になって、たまたまジャックのバンドと同じステージに立つ事があって、その時に「いいベースだなあ」なんて言ってたところ、パパラルディはおもむろにマジックを持って「ジャックブルース」と文字をそのボディ書いて、「さあ今日からは君のものだ」と言ったのだ。なんと心温まる話ではないか。ジャックはもともとパパラルディとはいい仲だったけど、この件でほんとに一生の友と感じたらしい。パパラルディの人柄が偲ばれる話しである。
EB-1のサウンド・セッティンク゛
「Base guitar」
・Felixは、EB-1 を6台、Gibson:Thunderbird
を2台、EB-3 を2−3台、その他EB-0などを所有していた。これらのほとんどのベースは、"Humbucking
PU"である。彼の 6台のEB-1のうち、少なくとも1本は50年代初期のシングル・コイルPU、バンジョー・ペグという仕様でマウンテン時代の初期に盗まれたとのことだ。また別のタイプは1957年から1958年に製造されたもので、さらにもうひとつのタイプが1970年にリイシューされたものであると推測される。一時期EB−3を使用していたのはオールド・タイプの盗難を恐れたのが理由だったのだろうか。ギブソンにリイシューを働きかけたのもオリジナルEB―1の盗難対策としてその代用が欲しかったのかもしれない。また、EB−1のPUにはResistor(抵抗器?)
が装着されていたということだが、それが何のためにあったのかは不明である。そのResistor
は古いラジオ用のトランジスターで、現在は入手困難である。
・Felixは「Nantucket Sleighride」のレコーディングにおいては、全ての曲でThunderbird
を使用した。
・Felixは如何なるBoosters やSound Effect Boadsは使う事はなかった。彼はニッケル・スティール製のハンドメイドのスーパー・ヘビー弦(ダン・アームストロング製と言われている)を使っていたが、これもResistor
と同じく今では入手する事は不可能である。彼はこれを切れるまで使っていたと言うことだ。また、6台のEB-1に関しては、各ベースがそれぞれ微妙に異なるサウンドキャラクターを持っていたものだ。(1973年より1998年までEB-1は製造中止であり、1998年Gibson EpiophoneがEB-1を再びリイシューしているがシェイプはオリジナルと少し違っている)
「Felix Amps」
・Felixはマウンテン初期においては自ら"SUNN
Amps"を、特殊なアンプチューブ(Pre-Amp Tubes)でカスタマイズしていたが、現在そのチューブはおそらく入手困難であろうし、現在のソリッド・ステート・アンプでは再現不可能と思われる。このアンプは当初ジミ・ヘンドリックスのためにデザインされたものだと言われている。
・Felixが、マウンテン中期以後ステージ機材を「Marshall
アンプ」に変えたのは以下のような理由がある。マウンテンが
Fillmore Eastに出演した際、Sunnは、アンプを含めた機材を届けなかったことがあった(モニター契約していたのだろうか?)。そのため彼らは「アーリー・ショウ(8:00PM)」をキャンセルしなければならなくなってしまった。Felixはその時、"The
Marshall AMP Company"に連絡し相談したのだ。2時間後、Fillmore
Eastに Marshall-100wが10台届き、「ラスト・ショウ(12:30PM)」に間に合ったのだ。それ以後の「ナンタケット・ツアー」からは、"The
Marshall AMP Company"と契約した訳だ。1970年から1971年の事である。この会社は貸し出し用に12台のMarshallアンプを持っており、Fillmore
Eastでは55分でセッティング出来る体制であった。このような理由で、Felixは「The
Marshall AMP Company」に代えたのだ。
・Felixは1973年の、クリエーションとのジャパン・ツアーには、カスタマイズした"FelixのSUNN
Amps"ヘッドを4台運んで使っていたが、このアンプは盗まれたのか、行方知れずである。日本公演では4台のSUNN
100w Head と彼のイラストがペイントされたEB-1を持って行った。また、この来日時では、Marshallと「ELK」のスピーカー・キャビネットを日本でレンタルして使用した。それ以前のパパラルディのベース・トーンと若干変化して聞こえるのはこれが理由であろう。
・なお、U.S.ツアーの際は、マウンテンは常に全ての機材(アンプ、ヘッド、ドラムス、ギター、マイク、その他)をバスに積んで運んでいたのだ。
・Felix
は アンプ・コントロールを「トーン:3−4」「ヴォリューム:5−6」にしていた。
・しかしながら、結局のところ、フェリックス・サウンドは彼のプレイの仕方、即ちピックで弦をヒットする如くに弾いていた事と、何よりも彼のセンシティヴな「指」によるも
のである。スタジオではピック(ハード)を使うことが多かったそうだが彼は本当は指で弾く方が好きだったと語っていた。弦高は極端に低かったと言われている。
・以上のことから、フェリックス・サウンドは、現在のアンプとベース・ギターでは「出すことは不可能かと思われる。彼のような奏法とトーンを受け継いだベース・プレイヤーが現在のロック・シーンには存在しないことからもいかにマウンテンのサウンドがロックの歴史で光り輝いているかが理解できるであろう。レコーディングの方法論は多くのバンドに受け継がれたがトーンこそは唯一無二なのである。
パパラルディのピック
マウンテン・ホーム
2005/09/14